教案泛读1王守仁

2022-06-21

作为一位兢兢业业的人民教师,时常需要编写教案,编写教案有利于我们弄通教材内容,进而选择科学、恰当的教学方法。如何把教案做到重点突出呢?下面是小编整理的《教案泛读1王守仁》,仅供参考,大家一起来看看吧。

第一篇:教案泛读1王守仁

王守仁名言推荐

1、持志如心痛,一心在痛上,岂有功夫说闲话,管闲事。2、夫万事万物之理不外于吾心。

3、你未看此花时,此花与汝心同归于寂。你来看此花时,则此花颜色一时明白起来。便知此花不在你的心外。

4、志不立,天下无可成之事。

5、圣人与天地民物同体,儒、佛、老、庄皆我之用,是之谓大道。二氏自私其身,是之谓小道。

6、天地虽大,但有一念向善,心存良知,虽凡夫俗子,皆可为圣贤。

7、心即理也。心外无理,心外无物,心外无事。

8、志不立,如无舵之舟,无衔之马,漂荡奔逸,终亦何所底乎。

9、殃莫大于叨天之功,罪莫大于掩人之善,恶莫深于袭下之能,辱莫重于忘己之耻,四者备而祸全。

10、谦者众善之基,傲者众恶之魁。

11、为学大病在好名。

12、人心之得其正者即道心;道心之失其正者即人心。

13、谦受益,满招损,器虚则受,实之不受,物之恒也。

14、夫学贵得之于心。求之于心而非也,虽其言之出于孔子,不敢以为是也,而况其未及孔子者乎?求之于心而是也,虽其言出于庸常,不敢以为非也,而况其出于孔子者乎?

15、无善无恶心之体,有善有恶意之动,知善知恶是良知,为善去恶是格物。

16、所以为圣者,在纯乎天理,而不在才力也。故虽凡人,而肯为学,使此心纯乎天理,则亦可为圣人。

17、有志于圣人之学者,外孔、孟之训而他求,是舍日月之明,而希光于萤爝之微也,不亦谬乎?

18、种树者必培其根,种德者必养其心。

19、破山中贼易,破心中贼难。

20、君子诲人不倦,而师道必严。

第二篇:浅析王守仁个人心学体系思想的形成

摘要:哲学是宏观的,不是具体的。表面上看起来哲学宏观的那么难以把握。其实不然,哲学就是一种思维方式。在理学行将崩溃的时刻,心学的诞生,无疑为中国古代哲学开辟了一条崭新的路径。

关键词:心学;社会;家庭;个人

中国有着上千年的历史,上千年的历史又孕育出了上千年的文化。在中国

的传统文化中,形形色色的哲学成为了历史发展的主流。儒释道的经典,再加上玄学,理学,心学的诠释,形成了具有中国特色的诸多文化底蕴。王守仁心学以其特有的活力,纵横于封建社会后期,奇风特起,一时两无。

1“你未看此花时,此花与汝心同归于寂;你来看此花时,则此花颜色一时明白起来:便知此花不在你的心外。”(《传习录》)此精妙话语一出,世人皆知王守仁之语。王守仁,字伯安,别号阳明子,浙江馀姚人。生于明宪宗成化八年(公元一四七二年),卒于世宗嘉靖七年(公元一五二九年)。其致良知思想在中国哲学史上有过非常卓越的贡献。有道是,饮水思源。当后人们在为其思想争论不休的时候,对他的心学体系的形成过程没有足够的重视。事实上,没有渊源的理论是经不住推敲的。当世人为其思想痴迷时,了解其思想的形成也有很有必要的。了解其思想的形成,对于更加细致地了解王守仁的心学思想有着极大的意义。

关于其思想的形成过程,将从以下几个方面来阐述。

一、社会环境的变迁

(一)主流思想的弊端丛生

众所周知,在有明一代,乃至往前的几百年里。统治阶级一向奉朱熹的理学为主流。上行下效,在心学之前的几百年中,理学一直是放之四海而皆准的官学,不可动摇。更有明初统治者以理学开国为标榜,科场选材皆以朱学为准。“原夫明初诸儒,皆朱子门人之支流余裔,师承有自,矩镬秩然。曹端胡居仁笃践履,谨绳墨,守先儒之正传,无敢改错。”(《明史·儒林传》)然而,在历经百年之后,集理学之大成的朱熹所创制的理论,已经不再如当初的辉煌和完善,反而日益趋于僵化,保守和封闭。曾有文人文征明所指朱学之弊,“偷簿自画,假美言以护所不足;甘于面墙,而不自知其堕于庸劣焉尔。”(《何氏语林序》,《明海文》卷二一二)

显而易见的是,当一个思想被世人所追认为绝对真理的时刻。这一思想不可避免地要走向另一个极端,也就是逐步走想衰退。因为,绝对真理是无可辩驳的,是至高无上的,是放之四海皆准的,当一种思想到达这一极端时,已经远远背离了其本身的初衷,失却了继续发展的空间。这样的思想走向衰落也就成了必然。

(二)非主流思想的冲击

非主流,是现在的词汇。用于当时,喻指市民等非官方思想。有明一代,在南方富庶地区资本主义早期萌芽的产生,对原本自给自足的封建自然经济产生了巨大的冲击。“……寻至正德末嘉靖初则少异矣。商贾既多,土田不重。操货交接,起落不常。能者方成,拙者乃毁。东家已富,西家自贫。……”2封建自然经济的动摇必然带动了以往传统观念的淡漠。民风习气也较以往发生了很大的变化。在明朝初年,风尚尚且淳朴,然自正德,嘉靖之后,世风日渐奢靡。“贫民世富,其奢侈乃日复一日。”(《震泽县志·卷二十五》)朱子理学中那种绝对的天理,以及由此产生的诸多理论不仅对于现实没有任何的指导意义,反而成为了现实中读书人日益虚伪,奢靡的来源。

二、家庭环境的熏陶

中国近代学术大师梁启超说过:“孟子知人论世之义,以谓欲治一家之学,必先审知其人身世之所经历,盖百家皆然。况于阳明先生者,以知行合一为教,其表见于事为者,正其学术精诣所醉化也。”(《饮冰室合集》五,《文集》之四十《阳明传及阳明先生弟子录序》)这就是说,在中国这样一个家庭观念重达的社会,家庭的影响势必会对个人产生难以磨灭的痕迹。因此,要探讨王守仁心学思想的形成,首先要去了解王守仁思想渊源与其先世家族的关系。

3王守仁六世祖王纲(1302-1372,字性常,一字德常,弟秉常、敬常,并以文学知名,而纲“尤善识鉴,有文武长才一;少与永嘉高则诚族人元章相友善,往来山水间,时人莫测也”(张壹民《王性常先生传》,(吴光、钱明等编《王阳明全集》第1380页。以下凡引此书皆简称《全集》并注页码))。直至70岁时还是被刘伯温推荐到朝中当了兵部郎中。最后在广东征苗时死于增城。

王纲死时,阳明五世祖王彦达年仅十六,虽以荫得官,然痛父以忠死难,故躬耕养母,粗衣恶食,终生不仕,“人称孝子”(《全集》第1387页),“有隐操”(《全集》第1381页),因居秘图湖之侧,号为秘湖渔隐。曾悉取先世所遗书付子与准曰:“但毋废先业而已,不以仕进望尔也”(《全集》第1381页)为此,阳明对先祖有颂扬之辞谓:“父死于忠,子蝉其孝,各安其心,自刃不见,又知有一祀之荣乎?”(《全集》第966页)

王杰,字世杰。阳明曾祖,因先世尝植三槐于门,故自号槐里子。杰自为童子时,即有

志圣贤之学,年十四,已尽通四书五经及宋儒之说。后又数次以亲老辞,躬耕受徒,以养其母。母卒乃以名儒宿学应贡,入南雍。官至编修杰言行一以古圣贤为法,尝谓门人曰:“学者能见得曾点意思,将洒然无入而不自得,爵禄之无动于衷,不足言也”(《全集第1384页》)

王守仁之父王华(1446—1522)字德辉,别号实庵,又号海日翁,因常读书于

余姚龙泉山,故人称龙山先生.华幼时已警敏有胆识,“始能言,槐里公口授以诗,诗经耳辄成诵,稍长,读书过目不忘”(《全集》第1387页)

其他众人自不一一评述。总括之,王守仁的先祖王纲和父亲王华,以忠贞称著;祖父王伦,以孝悌闻名;还有则如王杰,以洒脱、隐逸避世而自得。因此,在王守仁思想中,既有追求功名的大志向,又有创新说法的现实冲动,更兼有隐逸避世的潇洒自得。王守仁的性格的多重性,这是他的心学思想形成过程中不可缺少的一部分。

三、个人经历的磨难

家庭环境的熏陶固然是重要的,但作为独立的个体的人来说,其后天的经历也是影响其一生的不可或缺的重要一环。

据诸家史传记载,王守仁从小秉性“英毅凌迈,超侠不羁”(《龙溪集》卷二《滁阳会语》);“平生性野多违俗”(《全集》第1217页)。后王守仁自己也反省曰:“说:“臣在少年,粗心浮气,狂诞自居。自后涉渐历久,稍知惭沮;逮今思之,悔创靡及。”(《全集》第297页)他常练习骑射,留心兵法,勤研韬略之书,尝曰:“儒者患不知兵仲尼有文章,必有武备。区区章句之儒,平日叨窃富贵,以词章粉饰太平,临事遇变,束手尤策,此通儒之所羞也”(《皇明大儒王阳明出身靖乱录》卷上)在立志功名的同时,少年王守仁还抱有强烈的成圣欲望:“某十五六岁时,便有志圣人之道。”(《阳明先生遗言录》下卷)

15他得罪宦官刘瑾被贬去贵州偏僻山区的“龙场驿站”,历经了几年艰难困苦的流放生涯。阳明先生早期师承朱熹,曾按朱熹“格物致知”的教诲坐在竹子前七天七夜,以图穷竹子之理,可是最终什么也没发现,自己却病了一场。从此,他对朱熹的理学产生了怀疑。在龙场的缺衣少食、举目无亲的贫困生活中,他的思想曾一度陷于绝望。但在苦思冥想之后的一天,他突然间大彻大悟,对《大学》的中心思想有了新的领会,发现心是万事万物的根本,世界上的一切都是心的产物,由此创造了他的"心学"基础。三年后,王守仁走出龙场,之后在仕途游历,担任地方官时造福百姓,执掌帅印之后平定诸多叛乱。王守仁用自己一生的立德、立功、立言,为后人留下了一笔宝贵的文化遗产,他临终前,他的学生周积问他还有什么遗言,他指着胸口说:“此心光明,亦复何言!”(《阳明先生遗言录》下卷)

无论是王守仁所处的时代,还是他所接受的家庭熏陶,以及他的个人经历。无一不是在一种个人意识占主导的前提条件下进行的。正如我们常说的,治世兴理学,乱世兴心学。在明王朝的腐朽黑暗的统治下,社会的普遍发展规律无疑遭受了前所未有的冲击。人们在极端腐败的统治下,见到的,更多的是官员昏聩无能,鱼肉乡里。社会发展的必然规律在那个时代被个人意志过多地遮盖了。人们把更多地希望寄托在某个优秀的个人身上,而忽略了,甚至是抹杀了社会发展的必然规律。在马克思主义看来,这无疑是荒谬的。但事实上,就当时的时代特点来说,这无疑是最好的解决方法。就家庭因素来说,王守仁的家庭突出一个“隐”字。隐,意味着归隐,归隐则意味着个人意识的极度泛滥。尤其在王朝极端腐朽破败的时候,归隐是为了保全自己。在保全自己的同时,个人意识已经在极度地自我膨胀了。这更在一定程度上加剧了主观与客观的分离。

结合上述论证材料,可以得出这样的结论:在王守仁所处的时代,概括为,个人意志凸显;而他的家庭影响,概括为,归隐田园不争;而他的经历,可以概括为,效忠皇权不二。正是因为有了个人意志凸显,归隐田园不争,效忠皇权不二这些主观意识的影响。所以,王守仁理论的出发点必然不会像先前的张载,二程一样,以客观世界的某种现实物质作为出发点来来论证自己的理学。他只能够以唯心主义的姿态来屹立于中国哲学之林。这和王守仁一生所受的主观意识的影响是分不开的。

参考文献:

1陈荣捷.中国哲学文献选编.江苏:江苏教育出版社.

2顾炎武.《天下郡国利病书》卷三十二《歙县风土论》.

3钱明.阳明学的形成与发展.江苏:江苏古籍出版社.

第三篇:日语泛读教案

第4課

(一)語彙説明

1.土間:①建物内で、床を張らず、地面を露出するか、三和土(たたき)、タイル張りなどにした所。土間床。 ②昔の歌舞伎劇場で、1階の舞台正面の観客席。

2.おびただしい:①数や量が非常に多い。ものすごい。「―・い人出」②(「…することおびただしい」の形で)程度がはなはだしい。ひどい。激しい。多く悪い意味に使う。「だらしのないこと―・い」。 ③非常に盛んである。

3.縄文文化:日本列島において、旧石器時代の文化に続く、食料採集に基づいた文化。木の実や貝を集め、狩りや魚とりなどに生活の基礎をおき、若干の栽培も行ったらしい。打製・磨製石器や土器を用い、堅穴住居を住まいとした。主に東・北日本の落葉広葉樹林帯で栄えた。

4.弥生文化:日本で食料生産に基づく生活が始まった最初の文化。縄文文化の伝統のうえに大陸文化が到来して成立。稲作・米食、青銅器・鉄器の製作・使用、紡織などが始まり、専門技術者が生まれ、支配・被支配の関係が生じ、地域社会が政治的にまとまりはじめた。

5.洗練:①詩歌・文章の表現を推敲して、よりよいものにすること。「―を極めた文体」

②人柄や趣味などを、あかぬけのした優雅・高尚なものにすること。「―された着こなし」

6.安田 喜憲(やすだ よしのり、1946年 - )は日本の考古学者。国際日本文化研究センター教授。フンボルト大学客員教授、麗澤大学比較文明文化研究センター客員教授。専攻は環境考古学

7.良渚文化:(りょうしょぶんか)は、長江文明における一文化。紀元前3500年ころから紀元前2200年ころにみられた。

1936年、浙江省の杭州市良渚で発掘された。崧沢文化などを継承しており、黄河文明の山東竜山文化との関連も指摘されている。柱形・錐形・三叉形など多様な玉器の他、絹なども出土している。分業や階層化が進んでいたことが、殉死者を伴う墓などからうかがえる。

(二)言葉の表現 1.~から見れば:「~から言うと」、「~からすると」と同じく、「ある立場から判断すると」という意味を表す。

○ この記録からみれば、生産は徐々に上昇している。

○ 顔色がいいから見れば、病気はだいぶよくなったようだ。

2.~ことになっている:予定、法律や規則、慣例のような人を拘束する様々な取り決めを表す。

○パーテイーに参加する人は、6時に駅で待ち合わせることになっている。 三.まとめ 四.宿題

第四篇:日语泛读1其中几课原文及翻译

第15課

集団議論と日本語

「お疲れ様」と集団意識

言語が文化の投影であるとするならば、われわれを動かしている論理と欧米人を動かしている論理が言語に深くその影を落としているであろうことは、当然予想のできることである。その例をもっとも日常的な挨拶のことばのなかに求めてみよう。

日本人は一日の仕事の終わったあととか、共同である仕事を完成させたとかいった場面では、「お疲れ様」とお互いにねぎらいの言葉をかけ合うことが一般的な習慣になっている。この「お疲れ様」は仕事にかかわる場合だけではなく、もっと軽い意味で別れに際しての儀礼的挨拶といった程度に使われることも多い。ときには一パイ飲屋のオカミから帰りしなに「お疲れ様」などと声をかけられるといった場面さえあるのであって、こういった状況で「お疲れ様」といった勤労とかかわる言葉が使われるといった風景は、やはりきわめて日本的なものということができるのである。

さらにこの「お疲れ様」という挨拶には、勤労のイメージとからみ合った一種の「お互い」意識、共同体の成員としての集団意識がひそんでいるのを見逃すことはできない。自分も他人に向かって「お疲れ様」といいながら、他人からもそういわれることを当然のこととして期待しているという、いわば集団のなかの約束的発言で

あるという一面である。このような日常の挨拶語のなかに、含意として存在する勤労と集団のイメージの重なり合いは、やはり共同作業が生活のための大前提になっていた水稲栽培的農耕民文化に属するきわめて日本的なパターンであるように思われるのである。 そう思って日本の、特に農村における日常の挨拶を考えてみると、そのほとんどが勤労と集団のイメージに結びついていることに気がつく。

「お早うございます」という朝の挨拶からそれが始まる。これを「お早うございました」などと英語の現在完了的な使い方でいう地方も多く、「お早う」という発言のなかにはお互いに相手の早起きをたたえ、一日の勤労への出発を確認し合うといった意味がこめられているのである。

西欧語の場合は英語のGood morningにしろ、ドイツ語のGuten Morgenにしろ、すべて相手に良き朝であることを願う、祈るといった意味合いだけであり、相手に良き朝であることを祈ってしまえば、人と人の間のことはそれで終わってしまうのである。

個人的行動を規制する それが「お早う」になると、共同体の成員としての人と人の間がつねについてまわる。朝寝をした人は、この挨拶を恥として聞かね

ばならないだろうし、挨拶する側からすれば、皮肉をたっぷりこめて相手にぶつけることだってできるのである。

日が高くなれば、「お精出し」などという言葉がつづき、昼近くなれば「お茶おのみ」などという挨拶になって、ある意味ではどこまでもおせっかいなやりとりが交換される。日暮れになれば「おしまいな」などといって、集団の目ははじめから終わりまで絶えず個人の行動に注がれるという仕組みになっているのである。いずれも勤労とかかわる言葉であり、しかも他人の領域に立ち入った発言であることに、きわめて日本的な特色がみられるのである。 印欧語の場合は、こういった文脈にあってはつねに良き朝、良き日、良き晩であることを相手に願うだけで人と人の間のことはそれで終わってしまう。そのあとはそれぞれ他人の犯すべからざる個人に属する世界なのであって、なにびともそれに立ち入ることは許されないし、また立ち入ろうとする者もないわけなのである。 翻译

“辛苦了”的集团意识

语言是文化的投影的话,我们行动的理论和欧美人行动的理论语言深深的阴影吧,可以预想。从这个例子最日常的寒暄语言中追求吧。

日本人在一天的工作结束后,或者共同的完成工作之类的场面了,“辛苦了”互相慰劳的话かけ合う一般的习惯。这个“辛苦了”是工作有关的场合,不仅仅是更轻的意义在分别时的礼节性的问候之类的程度上被使用的事也多。时候是一派的オカミ飲屋从回来的“辛苦了”等和我打招呼这样的场面也有,在这样的情况下,“辛苦了”的勤劳和有关的语言使用这样的风景,果然是极为日本性的东西可以说的。

而且这“辛苦了”的寒暄,勤劳的形象和纠结的一种“相互”的意识,共同体的成员的集团意识隐藏着的不能错过。自己也向别人说“辛苦了”,但从别人也这么认为理所当然的事是期待着,可以说集团内的约定的发言”的一面。这样的日常问候语,含义存在的勤劳集团的图象的,还是共同工作为生活的大前提了水稻栽培的农耕文化属于日本民极性的图形。被认为的。

这样想,尤其是农村的日本日常的寒暄,试着想想,几乎都是勤劳和集体的意象联系的发现。

“早上好”那开始从早上的问候。以此为“早上好了”等英语现在完毕的用法的地方也多,“早上好”的发言中相互理解对方的早起称赞,一天的勤劳的出发确认了含义。

西欧语的情况是英语Good morning也好,德国语的Guten Morgen也好,一切美好的早晨对方愿,祈祷这样的意味而已,对方好早上祈祷的话,人与人之间的事那个结束受伤的。

个人行动的规则

那就是“早安”的话,共同体的成员的人与人之间经常伴随。睡懒觉的人,在此致辞耻必须问吧,打招呼方面来看,充分包含讽刺对方撞倒是可以的。

日高的话,“您精选出”等的说法,紧接着是中午的话“茶您只”等这样的寒暄了,从某种意义上说,是到哪里都多管闲事被交换。黄昏的话“完蛋的”等,集体的眼睛从开始到终结。个人的行动被注入的规定的。不论是与劳动有关的语言,而且是他人的领域无关的发言一事,极为日本特色的看的。

在欧美语言的情况,这样的文章,有美好的早晨,经常是好日晚上,优良的事,只希望对方在人与人之间的事那个结束了。然后各自他人侵犯的属于个人的世界中有,那なにびと干预也不允许,又立ち入ろ吧的人也没有的。

第2课 東京の悩み

現在東京の人々が困っている問題を幾つか挙げてみましょう。

東京は日本の首都であり、また政治、経済、文化の中心地 となっているため、

日本全国から人々が集まってきています。東京の面積 は日本全土の0.5パーセントにしか過ぎません。

そこで全人口の約11パーセントもの人々が生活をしているのです。

この人口集中が現在起こっているいろいろな問題の主な原因となっています。

まず第一に挙げられるのは住宅問題 です。限られた狭い所に大勢の人が住んでいるので、

家も土地も足りなくなるわけです。たまに空いた土地があっても、値段が高すぎて簡単には買えません。

その結果、自分の家を持つことができずに、借家やアパートの狭い部屋で生活をしている人が東京には大勢います。

住まいは人間の生活になくてはならぬものですから、これは極めて重要な問題であるといえるでしょう。

次に交通の問題があります。東京にある会社や役所などは都心に集

まっています。

日本では、会社や役所の勤務時間はどこでもだいたい九時から五時までと決まっていますから。

この辺 に勤めている大勢のサラリーマンたちは毎朝同じような時間にここに集まり。

毎晩同じような時間にここから帰っていくわけです。東京ではほとんどの人が通勤、通学に電車を利用しています。

そのため、朝8時ごろと夕方6時ごろの電車はサラリーマンたち、それに学校へ通う学生たちが加わって、

電車に乗れないでプラットホームに残されることも珍しくありません。

また、通勤、通学にかかる時間は1時間から1時間半ぐらいが普通で、中には2時間以上かかる人もいます。

それは、通うのに便利な場所に家を持つことが難しくなり、都心をずっと難れた所に住む人が多くなったからです。

この交通の問題も、東京に住む人にとって大きな悩みです。

次に挙げられるのはごみ処理の問題です。人間はごみを出さずに生活することはできません。

部屋の整理をしたり炊事をしたりすればもちろん、たばこを吸ってもお菓子を食べてもごみは出てきます。

工場からは工場のごみが、家庭からは家庭のごみが出てきます。

そして、このごみの量は、当然、生活している人の数に比例して多くなります。

東京の人口は日本一ですから、出るごみの量も大変なものです。 この沢山のごみをどう始末するかは決して簡単な問題ではありません。

焼く場所にしても、埋める場所にしても、その場所が問題になります。

狭い土地に人口が集中している悩みはこんなところにも現れているのです。

東京にはそのほかにも、自動車の排気ガスなどに因る「大気汚染」の問題、

工場や家庭からの排水のために川の水が濁ってしまうという「水質汚濁」の問題、

また夜通し走る自動車の音で寝られないとか、家が密集しているため隣の家の物音で迷惑するとかいった

「騒音」の問題など、いわゆる「公害」があって、ここに住む人々の大きな悩みとなっています。

翻译 东京人的烦恼

下面我列举几个现在另东京人困惑的问题。

东京是日本的首都,也是政治、经济,文化的中心,因此,聚集了全国各地的人。东京的面积只有日本全土的0.5%。却有占全国人口的11%的人在此生活。

人口集中是引发各式问题的主要原因。

首先列举的是住宅问题, 因为有限的狭小的空间很多人来居住,导致了家和土地不足。即使偶尔有空余的土地,价钱也高的买不起。 其结果就是没有自己的家,在租来的房子和公寓中狭小的房间中生活的人在东京到处都是。

住房是人们生活中不可缺少的一部分,所以可以说这个是及其重要的问题。

其次是交通的问题。在东京很多公司和政府机关都集中在市中心。 在日本,公司和政府机关的工作时间无论在哪里大体上都是从上午9点到下午5点,所以,在这附近工作的大多数的员工每天早上都在同一时间聚集到这里。

每天晚上又在大体上相同的时间回到这里。在东京几乎所有的人工作和上学都是利用电车。

因此,早晨8点左右到晚上6点左右的电车是通勤高峰,公司职员再加上上学的学生,因为很能登上电车,而导致在站台不能上车的事件也不稀奇。

一般来说上班,上学花费的时间大约是1个小时到1个半小时,其中

也有花费2个小时以上的。

在交通便利的地方找房子变的尤为困那,因为住在市中心的人很多。 交通的问题也是居住在东京的人尤为头疼的问题。

下面列举的是垃圾处理问题。人们如果不仍垃圾就会无法生活。 整理房间之后,做饭之后就不用说了,即使是吸烟,吃果子也会制造垃圾。

从工厂出来的是工厂的垃圾,从家庭出来的是家庭的垃圾。 因此,垃圾的数量,当然也同生活的人数成比例的增多。 东京的人口是日本最多的,垃圾的数量也是非常多的。 这么多的垃圾,是怎么开始的觉不是一个简单的问题。 即使进行燃烧,掩埋,其场所也是问题。 在狭小的地方人口集中的烦恼也呈现在这个地方。

东京在上述以外,还有基于汽车的废气排放等的「大气污染」的问题,因为工厂和家庭排水引起的河水浑浊的「水质污染」的问题,同时还有因为整夜跑动的汽车的声音而不能入睡,因为家庭密集由于隔壁的响动而带来麻烦的「噪音」的问题等,这些所谓的「公害」,也成为居住在这里的人们的很大的烦恼。

第13课

浦岛太郎

むかしむかし、浦島太郎という漁師(りょうし)がいました。 ある日、浜辺(はまべ)に行くと、子供たちが亀(かめ)を捕(つか)まえていじめていました。

浦島太郎は、子供にお金をやって亀を助(たす)け、海に返(かえ)してやりました。

浦島太郎が、海に出て釣(つ)りをしていると、「浦島さん、浦島さん。」と、呼(よ)ぶ声がします。見ると、亀が海の上に顔を出して、呼びかけていたのです。

「わたしは、この間(あいだ)助けていただいた亀です。お礼に竜宮(りゅうぐう)城(じょう)にご案内(あんない)いたします。」 浦島太郎は喜(よろこ)んで亀の背中(せなか)に乗りました。 竜宮城は、海の底にある、夢のように美しいお城(しろ)です。 お城に着くと、きれいな乙姫(おとひめ)様(さま)が浦島太郎を出迎(でむか)えました。乙姫様は、「亀を助けてくださいまして、ありがとうございました。どうぞここでゆっくり遊んでいってください。」と言って、お城の中に案内しました。

毎日、たくさんのご馳走(ちそう)が並(なら)べられます。 鯛(たい)やひらめが、楽しい踊(おど)りを見せてくれます。 夢のような楽しい日が続(つづ)き、いつの間にか三年が過(す)ぎていました。

「そうだ、ふるさとに残(のこ)してきたお父さんとお母さんはどう

しているだろう。」

浦島太郎はそう思うと、一度家に戻(もど)ることにしました。 乙姫様は、悲(かな)しそうな顔をしながら、浦島太郎に箱(はこ)を渡(わた)して言いました。

「これは玉手(たまて)箱(ばこ)です。この箱は、絶対(ぜったい)に開けないでください。もし開けると、あなたとは二度とお会いできなくなるのです。」

浦島太郎が、ふるさとに戻ってみると、景色(けしき)がすっかり変わっています。

知っている人もいません。

浦島太郎が竜宮城にいた三年は、この世(よ)では三百年だったのです。

浦島太郎は、思わず玉手箱を開けてしまいました。

すると、箱からもくもくと白い煙(けむり)があがって、浦島太郎はたちまち白髪(しらが)のお爺(じい)さんになってしまいました

翻译

很久很久以前,浦岛太郎的渔夫。 有一天,去海边,孩子们欺负乌龟抓住了。 浦岛太郎,孩子把钱做救助海龟,大海还给我做了。

浦岛太郎出海钓鱼的时候,“浦岛太郎,浦岛太郎。”和,呼唤的声音。看,龟的大海上露面,呼吁。

“我,上次您搭救的龟。感谢龙宫城的向导。” 浦岛太郎很高兴地坐在龟的背上了。 龙宫城,海底有,梦幻般美丽的城堡。

到达龙宫,漂亮的乙姬公主迎接了浦岛太郎。乙姬公主,“龟请帮助,谢谢了。请在这里慢慢的玩啊。”说,在城堡中介绍了。 每天,多好吃的排列。

鲷鱼和比目鱼,快乐的舞蹈给我看看。

像梦一样的快乐的日子持续,不知不觉三年过去了。 “对了,对故乡残し了爸爸妈妈怎么样了呢。” 浦岛太郎是这样想的,一次回到家了。

乙姬公主,悲伤的脸,一边浦岛太郎盒子交给说了。

“这是之玉匣。这个箱子,绝对不要打开。如果打开,和你无法再相见了。”

浦岛太郎回到了家乡后,发现全变样了。

知道的人也没有。

浦岛太郎龙宫呆了三年,在这世上是三百年。 浦岛太郎禁不住打开珠宝箱了。

于是,从箱子滚滚白烟提高,浦岛太郎立刻白发苍苍的老爷爷了

第五篇:日语泛读

第一課 もったない

1、「もったいない」という言葉の意味の移り変りについて、まとめなさい。

「もったいない」は、本来は、物の本体を失うことを指す言葉でした。また、重々しく尊大なさまという意味まあり、それを無しにすることから、畏れ多いかたじけない、むやみに費やすのが惜しいという意味で使われるようになりました。

2、トヨタの創業者、豊田佐吉氏の創業の精神を分かりやすく説明しなさい(豊田精神)。

いっしょうけんめいそうぎょうしゃ

とよたさきちし

そうぎょう

せいしん

せつめいいみつかおそ

おお

つい

おじゅうじゅう

そんだい

いみ

ほんらい

もの

ほんたい

うしな

ことば

ことば

うつ一生懸命に真面目に無駄をしない。

第二課 どうも まじめむだ

1、西洋言語観:思想や意見は言葉によって、必ず的確に表現でき、また表現すべきものだ。

日本言語観:以心伝心とか不立文字をよしとする、超言語的しそうひょうげんにほんげんごかんいしんでんしん

ふりつもじ

ちょうげんごてきひょうげんせいようげんごかんしそういけんことばかならてきかくひょうげん思想表現である。

2、「どうも」:こんにちは、さようなら、ありがとう、すみません。

3、超言語的思想表現:文字やことばではなく以心伝心による思想ひょうげんちょうげんごてきしそうひょうげん

いしんでんしん

しそう表現。

ことば

にちじょうせいかつ

はたら

4、「どうも」という言葉は、日常生活においてどんな働きをしているか。

にちじょうげんご日常言語をある程度あいまいにし、いろいろと質の異なる情況をちゅうしょうてきていどしつことじょうきょう抽象的に処理することができる潤滑油である。

1 しょりじゅんかつゆ

第三課 語らぬ文化と日本語

1、日本の短詩型文学の伝統は何か。

たんにほんたんしがたぶんがく

でんとう

かたぶんかにほんご単にことばを省略し、必要なことをいわないという文化なのではなく、限られた言語空間の中で、必要なことを最大限の効果によって表現していくということだ。

2、新言語観:自分の考えていろことを的確に表現すること。

3、今、異文化間コミュニケーションのをめの、新しい対話の方法を模索しなければいけない局面に立たされている日本人に要請されるものはなんか。

高度な言語運用の力を享受しつつ、日常の言語生活の中で母語とその運用への自覚的な意識くを高め的確なコミュニケーションを図っていくことだ。

第六課 買物

1、買物とは:買物はレクリエーションであり,自己目的であり、生きている実感を味わうこと。

2、なぜ「日本人は買物民族である」

たとえば①、旅行のときは見るより買うことに楽しみがあり、②、にちじょうりょこう

たのにほんじん

かいものみんぞくじっかんあじかいものかいもの

こもくてき

かいものはかうんようじかくてき

いしき

たか

てきかくこうどげんごうんよう

ちから

きょうじゅ

にちじょう

げんごせいかつ

なか

ぼごもさく

きょくめん

にほんじん

ようせいいまいぶんかかん

あたら

たいわ

ほうほうしんげんごかんじぶん

てきかく

ひょうげんひょうげんかぎげんごくうかん

なか

ひつよう

さいだいげん

こうかしょうりゃくひつようぶんか日常では必要でないものを衝動的に買い、③、とにかく一歩家をでかいものひつようしょうどうてきかいっぽいえ出ると買物をしたがる。

3、なぜ「消費は王様ではなく神様なのだ」

かいものしょうひおうさま

かみさま買物によって自分を解放し、神聖化することができるから。

第七課 飲酒における人間関係

2

いんしゅ

にんげんかんけいじぶんかいほうしんせいか

1、飲む、うつ、買う:酒、ばくち、女

2、飲酒の昔といまについて(古今饮酒总结)

①、昔は祭事における共食にかぎってもちいられたが、②、現在こうてきさいじ

きょうしょく

げんざいいんしゅむかしのかさけおんな公的・儀礼的な宴会や私的な会合などに行われる。

3、飲酒において、宴会と二次会とはどう違うか。

えんかいいんしゅ

えんかい

にじかい

ちがぎれいてきえんかいしてきかいごうおこな宴会は共同体における儀礼の一種であるのに対して、二次会は私的な会合である。

第十三課 カラオケの文化

1、カラオケの特徴:内閉性、社交性、治療性

2、カラオケは最初、どんな場所で何のために開発されたか。 プロ歌手の伴奏用テープとして開発されたものが酒場から家庭へと広がった。

3、1950年代のカラオケボックスと1960年代の歌声喫茶の違い。 ①、歌声喫茶は、そこに集う若者たちの連帯意識がみなぎり、政治運動が連動し、商業主義は希薄で②、コミュニケーションの役割を果たしていたが、カラオケボックスはそれに友達している。

第十五課 季節とともに生きてゆくよろこび

1、日本における四季の主な行事:

はるにほんしき

おも

ぎょうじ

きせつ

いか

ともだちせいじうんどうれんどう

しょうぎょうしゅぎ

きはくうたごえきっさ

つど

わかもの

れんたいいしきねんだい

ねんだい

うたごえきっさひろかしゅばんそうよう

かいはつ

さかば

かていさいしょ

ばしょ

かいはつとくちょう

うちへいせい

しゃこうせい

ちりょうせい

ぶんかしてきかいごうきょうどうたいぎれいいっしゅたいにじかい春:花見、桜狩

なつはなみさくらがり夏:花火大会、蛍狩、蛍見、滝見

あきはなびたいかいほたるがりほたるみたきみ秋:紅葉狩、虫聞きの会

ふゆもみじがりむしきかい冬:雪見

3 ゆきみ

2、室礼:風鈴を吊り下げたり、金魚鉢を置く。

3、「季語」をどんな言葉だと言っているか。

日本語の中の宝石語、長年にわたって日本人が使い続け、磨き上げてきた言葉。

第十六課 祭りと日本人

1、神は山から来る(垂直降臨)、海から来る(水平来臨)

2、日本の祭りは、本来なんのために行われたのか。

かみにほんまつ

ほんらい

おこなかみやまく

すいちょくこうりん

うみ

すいへいらいりん

まつ

にほんじんことばにほんごなかほうせきご

ちょうねん

にほんじん

つか

つづ

みが

あきご

ことば

いしつらいふうりんつさきんぎょばちお神の降臨に際して神に奉持するため。

3、日本人はなぜ祭りが好きか。

まつにほんじんまつ

すこうりんさいかみほうじ祭りに華やぎと開放感を連想し、つい心浮き立ってしまうから。

第十七課 天才と普通人違って

1、大脳新皮質:神経細胞と神経回路。

2、①、左脳は優位半球または言語脳と呼ばれ。身体右半分の運動や知覚を支配し、言語、概念、論理的な思考などを司る。 ②、右脳は劣位脳・またはイメージ脳と呼ばれ、身体左半分の運動や知覚を支配し、イメージ、図形、直感的思考どを司る。

3、天才と普通の人違い

けんこうたいてんさいふつうひとちがちかくしはい

ずけい

ちょっかんてきしこう

つかさどうのうれついのう

のう

しんたいひだりはんぶん

うんどうちかくしはいげんご

がいねん

ろんりてき

しこう

つかさどさのうゆういはんきゅう

げんごのう

しんたいみぎはんぶん

うんどうだいのうしんひしつしんけいさいぼう

しんけいかいろてんさい

ふつうじんちがはなかいほうかんれんそうこころうた健康体の人間はらば、脳の基本構造にはほとんど個人差はない。あるのは脳が持っている潜めたかをうまく活用しているか否かの違いだけなのだ。

4、どうしたら、頭のいい人になれるか。(怎样成为一个聪明的人)

のうあたま

ひとのうも

ひそ

かつよう

いな

ちがにんげんのうきほんこうぞうこじんさ脳を鍛え、右脳と左脳のバランスをよくして、脳全体をパワーアッ

4 きたうのうさのうのうぜんたいプする。

第十八課 恥を知って腹を切る

1、罪の文化:西欧人の文化

恥の文化:日本人の文化

2、日本人のタテ社会を支える重要な要素のひとつは(支持日本社会的重要因素)

ひとにほんじんしゃかい

ささ

じゅうよう

ようそはじぶんかにほんじん

ぶんかつみぶんかせいおうじん

ぶんか

はじ

はら

き人の上に立つものは、部下がヘマをしでかしたときには、泥をかぶって責任を取る。自分が指導者として失敗したときにも、もちろんせきにんせきにんと

じぶん

しどうしゃ

しっぱいうえたぶかどろ責任を取る。

3、企業が失敗したとか、部下が破廉恥なことをしたら、西欧人と日本人の態度。

せいおうじんにほんじんたいどきぎょうしっぱい

はれんち

せいおうじんと西欧人:リーダーたるものが「罪」の意識をもち、そのようなことが二度と起きないように部下を指導する。

日本人:上に立つものが泥をかぶって責任を取る。

第二十一課 腹のコミュニケーション

1、腹文化:腹に日本人は心を宿しているという信仰である。

2、リーダーの適格者のタイプ(适合做领导人的类型)

はらてきかくしゃはらぶんかはらにほんじん

こころ

しゅく

しんこう

はらにほんじんうえた

どろ

せきにん

とにどお

しどう

つみいしき腹がすわって、すべてのことを腹におさめて黙っている人。

3、日本人とヨーロッパ人とでは、コミュニケーションの面でどう違うか。

日本人は相互の本心の察し合いによって、ヨーロッパ人は言葉によって行われる。

5 おこなにほんじんそうごほんしん

さっ

ことばにほんじん

めん

ちが

はらだまひと

4、「やりとりの文法」

さっぶんぽう察し合いによって、コミュニケーションをする。

第二十二課 ふろの効用

1、日本でお風呂にはいろ最初の目的

かみにほんふろ

さいしょ

もくてき

こうようあ神に接するために身体を清めるため。

2、日本人がふろを好む原因:

日本人は皮膚を重んじる文化をもっているから。現代では、一日のせいかつにほんじんひふおも

ぶんか

げんだい

いちたちにほんじん

この

げんいんせっしんたいきよ生活の仕切りとしている。

3、風呂の移り変わり

①、古くから:温泉(治療)②、奈良時代:公衆浴場(交流)③、鎌倉時代:町風呂 ④、江戸時代:銭湯(交流)、蒸かしぶろ(観光代用)、家庭ぶろ(平等関係をつくる)、大浴場(娯楽)

第二十四課 言葉の「汚染」

1、言語の誤用 ①、乱れ

②、汚染:外来語を多用することだ。

ほじゅうせつめいおせんがいらいご

たようみだげんごごよう

ことば

おせんかんこうだいようかてい

びょうどうかんけい

おおよくじょう

ごらくかまくらじだいまちぶろ

えどじだい

せんとう

こうりゅう

ふかふるおんせん

ちりょう

ならじだい

こうしゅうよくじょう

こうりゅうふろうつりかしき補充説明: 季語:

はるきご春:初花、初桜、花見酒、花見

なつしょばなはつざくらはなみざけはなみ夏:風鈴、打水、浴衣、蛍狩

あきふうりんうちみずゆかたほたるがり秋:紅葉狩、楓、月見、観月

ふゆもみじがりかえでつきみかんげつ冬:木枯らし、雪囲い、雪吊り

6 こがゆきがこゆきづ

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